2010年02月07日
一ノ谷、直実、敦盛、涙の青葉の笛!
寿永3年(1184)
の 今日
2月7日は
源氏と平家の戦いの山場
一ノ谷の合戦が
起こった日
源平合戦 の 中で
歌に なっていることもあり もっとも 知られているのが
一ノ谷の合戦かも 知れませんね
ある世代からしたら
学校で習った人も いると 思いますが
その歌とは
明治39年に発表された唱歌
【青葉の笛】
この歌を ご紹介する前に
一ノ谷の合戦の
青葉の笛の話から しましょう
大河ドラマでも 幾度となく 描かれた 名場面ですが
主人公は
2人
1人は
平清盛の息子の
平敦盛【たいらの・あつもり】
彼は 笛の名手で
祖父が 天皇から 譲り受けた 笛を
敦盛が 受け継ぎました
その笛の名前が
青葉の笛
平敦盛は 17歳の若さで
一ノ谷(現在の神戸市須磨区)の合戦に 参戦
しかし 平家軍は
源氏軍の奇襲攻撃に 遇い 命からがら 逃げ出す始末
そんな 中
平敦盛も 船で 逃げようと していた時に
源氏の武将
熊谷直実【くまがい・なおざね】
に 見つかり
捕えられます
直実は その若者が 平敦盛と 知るも よく見たら 直実の息子と同じぐらいの年齢
何とか 我が子と同じぐらいの敦盛を 助けようと 見逃す 覚悟をしますが
平敦盛は さすが
平清盛の 血を 引いてるだけのことはあり
直実に 首を はねるように 言います
直実は 泣きながら 敦盛の首をはねます
敦盛の形見の 笛を 見た
熊谷直実は 世の無情を 感じ
武士を やめ
出家する
これが
一ノ谷の合戦の 秘話
すぐに
平敦盛と 青葉の笛の 話は
能や 舞踊の 題材となり
あの 織田信長は
この話を 題材にした
謡曲 敦盛
(人間 五十年
下天の うちを くらぶれば…)
を 歌い 舞ったのは 余りにも有名
ドラマで 信長を やる時は
謡曲敦盛を 舞うシーンは 必ず 出てきますよね
さて 話を
唱歌
【青葉の笛】
に 戻すと
明治39年の
尋常小学唱歌に
発表されました
当初は
【敦盛と忠度】
の タイトルでした
これは
1番が
平敦盛 のことを 歌い
2番が清盛の弟
平忠度【たいらの・ただのり】
を 歌ったからです
作詞は
昨年10月1日の音辞苑
【誰かさんと、誰かさんが麦畑】
で 取り上げた
大和田建樹
作曲は
田村虎蔵
(一の谷の 軍[いくさ]破れ
討たれし 平家の
公達[きんだち]
あわれ
暁 寒き 須磨の嵐に
聞こえしは これか
青葉の笛)
発表されてから
2番の歌詞は あまり 歌われなくなり
そのことから
タイトルも 1番の 歌詞から
【青葉の笛】
として 定着していったようですね
歌詞の
(聞こえしは これか
青葉の笛)
とは
出家した
熊谷直実が
再び 須磨(一ノ谷)
を 訪れると
どこからともなく
笛の音が 聴こえ
て来ます
そう
平敦盛の霊が
直実の前に あらわれる
能の 敦盛 の 話が 元に なっています
これを機に 平家物語を じっくり 読んでみると 面白いかもしれませんね
今 歴史ブームですから 源平合戦の 一ノ谷 屋島
壇之浦を 訪ねてみるのも良いかも
の 今日
2月7日は
源氏と平家の戦いの山場
一ノ谷の合戦が
起こった日
源平合戦 の 中で
歌に なっていることもあり もっとも 知られているのが
一ノ谷の合戦かも 知れませんね
ある世代からしたら
学校で習った人も いると 思いますが
その歌とは
明治39年に発表された唱歌
【青葉の笛】
この歌を ご紹介する前に
一ノ谷の合戦の
青葉の笛の話から しましょう
大河ドラマでも 幾度となく 描かれた 名場面ですが
主人公は
2人
1人は
平清盛の息子の
平敦盛【たいらの・あつもり】
彼は 笛の名手で
祖父が 天皇から 譲り受けた 笛を
敦盛が 受け継ぎました
その笛の名前が
青葉の笛
平敦盛は 17歳の若さで
一ノ谷(現在の神戸市須磨区)の合戦に 参戦
しかし 平家軍は
源氏軍の奇襲攻撃に 遇い 命からがら 逃げ出す始末
そんな 中
平敦盛も 船で 逃げようと していた時に
源氏の武将
熊谷直実【くまがい・なおざね】
に 見つかり
捕えられます
直実は その若者が 平敦盛と 知るも よく見たら 直実の息子と同じぐらいの年齢
何とか 我が子と同じぐらいの敦盛を 助けようと 見逃す 覚悟をしますが
平敦盛は さすが
平清盛の 血を 引いてるだけのことはあり
直実に 首を はねるように 言います
直実は 泣きながら 敦盛の首をはねます
敦盛の形見の 笛を 見た
熊谷直実は 世の無情を 感じ
武士を やめ
出家する
これが
一ノ谷の合戦の 秘話
すぐに
平敦盛と 青葉の笛の 話は
能や 舞踊の 題材となり
あの 織田信長は
この話を 題材にした
謡曲 敦盛
(人間 五十年
下天の うちを くらぶれば…)
を 歌い 舞ったのは 余りにも有名
ドラマで 信長を やる時は
謡曲敦盛を 舞うシーンは 必ず 出てきますよね
さて 話を
唱歌
【青葉の笛】
に 戻すと
明治39年の
尋常小学唱歌に
発表されました
当初は
【敦盛と忠度】
の タイトルでした
これは
1番が
平敦盛 のことを 歌い
2番が清盛の弟
平忠度【たいらの・ただのり】
を 歌ったからです
作詞は
昨年10月1日の音辞苑
【誰かさんと、誰かさんが麦畑】
で 取り上げた
大和田建樹
作曲は
田村虎蔵
(一の谷の 軍[いくさ]破れ
討たれし 平家の
公達[きんだち]
あわれ
暁 寒き 須磨の嵐に
聞こえしは これか
青葉の笛)
発表されてから
2番の歌詞は あまり 歌われなくなり
そのことから
タイトルも 1番の 歌詞から
【青葉の笛】
として 定着していったようですね
歌詞の
(聞こえしは これか
青葉の笛)
とは
出家した
熊谷直実が
再び 須磨(一ノ谷)
を 訪れると
どこからともなく
笛の音が 聴こえ
て来ます
そう
平敦盛の霊が
直実の前に あらわれる
能の 敦盛 の 話が 元に なっています
これを機に 平家物語を じっくり 読んでみると 面白いかもしれませんね
今 歴史ブームですから 源平合戦の 一ノ谷 屋島
壇之浦を 訪ねてみるのも良いかも
2010年02月07日
札幌、大阪、長崎。中の島が繁華街でないのは?
平成18年(2006)の
今日
2月7日は
作曲家
吉田佐【よしだ・たすく】
が 亡くなった日
吉田佐 と 言えば数々のムード歌謡
生涯に
2000曲 作ったと言われていますが
代表曲と言えば 何と 言っても
【中の島ブルース】
でしょうね
吉田佐は
サラリーマン生活を経て 作曲家に なり
札幌で 活動していた
ムード歌謡コーラス
秋庭豊【あきば・ゆたか】と
アローナイツの 為に
作曲したのが
【中の島ブルース】
アローナイツ 初の オリジナル曲として 自主制作
歌詞も 札幌に ある 繁華街、中の島を 舞台にした 札幌の ご当地ソングでした
作詞は
斉藤保
(赤いネオンに 身を まかせ
燃えて 花咲く
アカシアの
あまい 香りに さそわれて
あなたと 二人
散った街
ああ ここは
札幌
中の島ブルース)
有線で 放送されると 話題になり
吉田佐は
昭和50年
アローナイツを
メジャーデビューさせます
そこで 全国区 デビューに あわせ
歌詞を 補作することにします
オリジナルでは、全て 札幌の
中の島を 舞台にしていたのを
2番では
大阪にある、繁華街
中之島を 舞台に
(ああ ここは 大阪 中の島ブルース)
に します
こうして
アローナイツは この歌で デビュー
さらに 吉田は
すでに 知名度の あった
内山田洋とクールファイブ にも 歌わせ
競作として 売り出します
そこで 3番の歌詞を
(ああ ここは
長崎 中の島ブルース)
と クールファイブ の 地元
長崎を 歌詞に入れました
しかし 実際に
長崎の繁華街には
中の島と 言う
所はありません
ただ 中の島 と 言う 本当の島は 存在します
従って
3番の 歌詞の
長崎の中の島は
歌の中だけの創作の 繁華街と 言うことになります
レコードが 発売されると
アローナイツ より
やはり すでに ヒット曲が あった
クールファイブの
レコードが 大ヒット
昭和50年の
紅白歌合戦でも
クールファイブが
この歌を 唄い
100万枚を 超える 大ヒットととなりました
その後
吉田佐音楽事務所を 設立し 作曲や 歌の指導に あたっていましたが
平成18年(2006)
の 今日
2月7日
【中の島ブルース】
の 作曲者
吉田佐は 胃癌の為
68歳の 若さで
この世を去りました
ここで 音辞苑アーカイブス
昨年2月7日の記事は
【誕生日!豪華メンバー集結】
今日は あの 天才作詞家
阿久悠の誕生日
昨年の記事では
超豪華アーティストが 参加した
阿久悠のトリビュートアルバムを
ご紹介しました
今日
2月7日は
作曲家
吉田佐【よしだ・たすく】
が 亡くなった日
吉田佐 と 言えば数々のムード歌謡
生涯に
2000曲 作ったと言われていますが
代表曲と言えば 何と 言っても
【中の島ブルース】
でしょうね
吉田佐は
サラリーマン生活を経て 作曲家に なり
札幌で 活動していた
ムード歌謡コーラス
秋庭豊【あきば・ゆたか】と
アローナイツの 為に
作曲したのが
【中の島ブルース】
アローナイツ 初の オリジナル曲として 自主制作
歌詞も 札幌に ある 繁華街、中の島を 舞台にした 札幌の ご当地ソングでした
作詞は
斉藤保
(赤いネオンに 身を まかせ
燃えて 花咲く
アカシアの
あまい 香りに さそわれて
あなたと 二人
散った街
ああ ここは
札幌
中の島ブルース)
有線で 放送されると 話題になり
吉田佐は
昭和50年
アローナイツを
メジャーデビューさせます
そこで 全国区 デビューに あわせ
歌詞を 補作することにします
オリジナルでは、全て 札幌の
中の島を 舞台にしていたのを
2番では
大阪にある、繁華街
中之島を 舞台に
(ああ ここは 大阪 中の島ブルース)
に します
こうして
アローナイツは この歌で デビュー
さらに 吉田は
すでに 知名度の あった
内山田洋とクールファイブ にも 歌わせ
競作として 売り出します
そこで 3番の歌詞を
(ああ ここは
長崎 中の島ブルース)
と クールファイブ の 地元
長崎を 歌詞に入れました
しかし 実際に
長崎の繁華街には
中の島と 言う
所はありません
ただ 中の島 と 言う 本当の島は 存在します
従って
3番の 歌詞の
長崎の中の島は
歌の中だけの創作の 繁華街と 言うことになります
レコードが 発売されると
アローナイツ より
やはり すでに ヒット曲が あった
クールファイブの
レコードが 大ヒット
昭和50年の
紅白歌合戦でも
クールファイブが
この歌を 唄い
100万枚を 超える 大ヒットととなりました
その後
吉田佐音楽事務所を 設立し 作曲や 歌の指導に あたっていましたが
平成18年(2006)
の 今日
2月7日
【中の島ブルース】
の 作曲者
吉田佐は 胃癌の為
68歳の 若さで
この世を去りました
ここで 音辞苑アーカイブス
昨年2月7日の記事は
【誕生日!豪華メンバー集結】
今日は あの 天才作詞家
阿久悠の誕生日
昨年の記事では
超豪華アーティストが 参加した
阿久悠のトリビュートアルバムを
ご紹介しました
2010年02月07日
バンザイ〜好きでよかった〜
平成8年(1996)の 今日 2月7日は
ウルフルズのシングル
【バンザイ〜好きでよかった】
が リリースされた日
ウルフルズ に とって
10枚目のシングル
元々
アルバム
【バンザイ】
に 収録されていて
今から14年前の今日 シングルカットされました
しかも 面白いのは
発売されたのは
2月で
なんと 4月からスタートのドラマ
中居正広
松雪泰子 主演の
【勝利の女神】
の 主題歌にも 採用されたことと
前作の
【ガッツだぜ!!】
の ヒットもあり
【バンザイ〜好きでよかった〜】
も 大ヒット
50万以上売り上げました
この歌は
トータス松本が
現在の奥さんに 捧げた プロポーズの 歌として知られています
(つまらない事で 君をこまらせる
思い出す度 赤くなる
笑っちまう くらいに 毎日は
ただ もう 過ぎてく あっと いう間に
スゲェ スゲェ 幸せな 気分の時は
帰り道で 君を思い出す
コンビニで うろうろしながら
思いだし笑いを かみ殺す
ダサい カッコは したくない
年は とらないように
つくり笑いなんか したくない
だから Baby
そばに おいでよ
イエーイ 君を 好きでよかった
このまま ずっと
ずっと 死ぬまで ハッピー
バンザイ 君に 会えて よかった
このまま ずっと ずっと
ラララ ふたりで)
この
ラララ の 部分は
いい歌詞が思い浮かばず
仮で ラララにしていた所
ラララ の方が 良いと このように なりました
しかし トータス松本 は 後に
奥さんに 捧げた歌ではなく みんなが そう言うから 後付けで そう 言ったと 言ってましたが
先日のミュージックステーションの
もうすぐ1000回名場面特集の中で
結婚直後に 出演して この歌を唄った回が放送され
トータス松本が
奥さんに 捧げた歌だと誕生秘話を告白
照れながら
恥ずかしいな〜
と 顔を 赤らめていました
だから やっぱり 恥ずかしいから
後付けって 言ってるんでしょうね
そんな
トータス松本は
2月10日に
佐藤隆太 主演の ドラマ
【まっすぐな男】
の 主題歌
【ストレイト】
を リリースします
さて 音辞苑アーカイブス
昨年2月7日の記事は
【今すぐ Kiss Me】
今日 発売された
リンドバーグの 名曲を ご紹介しました
ウルフルズのシングル
【バンザイ〜好きでよかった】
が リリースされた日
ウルフルズ に とって
10枚目のシングル
元々
アルバム
【バンザイ】
に 収録されていて
今から14年前の今日 シングルカットされました
しかも 面白いのは
発売されたのは
2月で
なんと 4月からスタートのドラマ
中居正広
松雪泰子 主演の
【勝利の女神】
の 主題歌にも 採用されたことと
前作の
【ガッツだぜ!!】
の ヒットもあり
【バンザイ〜好きでよかった〜】
も 大ヒット
50万以上売り上げました
この歌は
トータス松本が
現在の奥さんに 捧げた プロポーズの 歌として知られています
(つまらない事で 君をこまらせる
思い出す度 赤くなる
笑っちまう くらいに 毎日は
ただ もう 過ぎてく あっと いう間に
スゲェ スゲェ 幸せな 気分の時は
帰り道で 君を思い出す
コンビニで うろうろしながら
思いだし笑いを かみ殺す
ダサい カッコは したくない
年は とらないように
つくり笑いなんか したくない
だから Baby
そばに おいでよ
イエーイ 君を 好きでよかった
このまま ずっと
ずっと 死ぬまで ハッピー
バンザイ 君に 会えて よかった
このまま ずっと ずっと
ラララ ふたりで)
この
ラララ の 部分は
いい歌詞が思い浮かばず
仮で ラララにしていた所
ラララ の方が 良いと このように なりました
しかし トータス松本 は 後に
奥さんに 捧げた歌ではなく みんなが そう言うから 後付けで そう 言ったと 言ってましたが
先日のミュージックステーションの
もうすぐ1000回名場面特集の中で
結婚直後に 出演して この歌を唄った回が放送され
トータス松本が
奥さんに 捧げた歌だと誕生秘話を告白
照れながら
恥ずかしいな〜
と 顔を 赤らめていました
だから やっぱり 恥ずかしいから
後付けって 言ってるんでしょうね
そんな
トータス松本は
2月10日に
佐藤隆太 主演の ドラマ
【まっすぐな男】
の 主題歌
【ストレイト】
を リリースします
さて 音辞苑アーカイブス
昨年2月7日の記事は
【今すぐ Kiss Me】
今日 発売された
リンドバーグの 名曲を ご紹介しました
2010年02月07日
ちあき、小指から、亜紀まで。鈴木淳名曲集!
昭和9年(1934)の 今日
2月7日は
作曲家
鈴木淳【すずき・じゅん】
が 生まれた日
今日で 76歳になりました
鈴木淳は
山口県防府天満宮の 宮司の息子として生まれ
音楽雑誌の 編集長を経て 作曲家に 転身
鈴木淳と 言えば
2回結婚していて
2人とも 作詞家
最初の奥様が
作詞家の
有馬三恵子
カープの応援歌
【それ行け!カープ】
の 作詞者としても 有名ですが
そんな
有馬 鈴木 夫婦コンビで 発表したのが
昭和42年の
伊東ゆかりの
【小指の思い出】
(あなたが 噛んだ 小指が 痛い
きのうの 夜の
小指が 痛い
そっと くちびる
押しあてて
あなたの ことを
しのんで みるの
私を どうぞ
ひとりにしてね
きのうの 夜の
小指が 痛い)
この歌が 大ヒット
伊東ゆかり には
他に
【朝の口づけ】
を 提供しています
さらに 有馬 鈴木 コンビは
小川知子に
【初恋のひと】
を 提供
(そよ風みたいに しのぶ あの人は もう 私のことなど みんな 忘れたかしら
野バラを いつも
両手に抱いて
朝の窓辺に 届けて 呉れた
何故だか 逢えなくなって
恋しい 人なの)
他にも
小川知子に
【恋のときめき】
を 手掛けました
昭和43年には
丹古晴己作詞
黒木憲 が 歌った
【霧にむせぶ夜】
が 大ヒット
(涙じゃないよと 言いたいけれど
こらえても こらえても
まつ毛が ぬれる
君より 切ない
この俺なのさ
だから 笑顔が ほしいのに
さよならが さよならが
霧にむせぶ夜)
そんな 鈴木淳 の 弟子として 有名なのが
ちあきなおみ
昨日ご紹介した
作詞家
吉田旺 と コンビを 組み
昭和44年
【雨に濡れた慕情】
で デビューさせ
昭和45年
白鳥朝詠【しらとり・ちょうえい】
と コンビを組み
ちあきなおみ に
【四つのお願い】
を 作曲
(たとえば 私が 恋を 恋をするなら
四つのお願い 聞いて 聞いて ほしいの
一つ やさしく
愛して
二つ わがまま 言わせて
三つ さみしくさせないで
四つ 誰にも 秘密にしてネ
四つのお願い 聞いて 聞いて くれたら
あなたに 私は 夢中 恋をしちゃうわ)
ちあきには 他に
【X+Y=LOVE】
を 提供しています
昭和45年
安倍里葎子には
賀茂亮二 作詞の
【愛のきずな】
(いつか 知らないとこで あなたに 抱かれたの
いつか 知らないとこで 朝が 明けるのを みたの
目と目が あって
それだけで
愛の誓いが 出来たのに
今では 遠い
夢の中で すぎたことみたい)
ヒットメーカーと なった
鈴木淳は 再婚します
相手は 人気女優の
藤田佳子
藤田は 鈴木と
結婚後 女優を 辞めて
作詞家
悠木圭子【ゆうき・けいこ】
として 数々の名曲を 生み出します
悠木圭子については
昨年8月29日の音辞苑
【女優引退して作詞家に転向!】
で 特集しました
そんな
悠木 鈴木 夫妻の コンビで 放った
最初のヒットが
昭和48年の
八代亜紀の
【なみだ恋】
(夜の新宿 裏通り 肩を 寄せあう 通り雨
誰を恨んで 濡れるのか
逢えば せつない
別れがつらい
しのび逢う恋
なみだ恋)
他にも
八代亜紀には
【しのび恋】
を ヒットさせ
平成に なってからは
愛弟子の
田川寿美の
【女…ひとり旅】
や
香西かおり に
【浮雲】
を 提供
現在も 現役作曲家 と 活躍中です
今回ご紹介した
曲が 収録されている
アルバムが 発売されました
それが コロムビア から 出ている
歌の巨匠シリーズ
【歌の巨匠
鈴木淳作品集
雨に濡れた慕情】
は 2500円で 発売中です
2月7日は
作曲家
鈴木淳【すずき・じゅん】
が 生まれた日
今日で 76歳になりました
鈴木淳は
山口県防府天満宮の 宮司の息子として生まれ
音楽雑誌の 編集長を経て 作曲家に 転身
鈴木淳と 言えば
2回結婚していて
2人とも 作詞家
最初の奥様が
作詞家の
有馬三恵子
カープの応援歌
【それ行け!カープ】
の 作詞者としても 有名ですが
そんな
有馬 鈴木 夫婦コンビで 発表したのが
昭和42年の
伊東ゆかりの
【小指の思い出】
(あなたが 噛んだ 小指が 痛い
きのうの 夜の
小指が 痛い
そっと くちびる
押しあてて
あなたの ことを
しのんで みるの
私を どうぞ
ひとりにしてね
きのうの 夜の
小指が 痛い)
この歌が 大ヒット
伊東ゆかり には
他に
【朝の口づけ】
を 提供しています
さらに 有馬 鈴木 コンビは
小川知子に
【初恋のひと】
を 提供
(そよ風みたいに しのぶ あの人は もう 私のことなど みんな 忘れたかしら
野バラを いつも
両手に抱いて
朝の窓辺に 届けて 呉れた
何故だか 逢えなくなって
恋しい 人なの)
他にも
小川知子に
【恋のときめき】
を 手掛けました
昭和43年には
丹古晴己作詞
黒木憲 が 歌った
【霧にむせぶ夜】
が 大ヒット
(涙じゃないよと 言いたいけれど
こらえても こらえても
まつ毛が ぬれる
君より 切ない
この俺なのさ
だから 笑顔が ほしいのに
さよならが さよならが
霧にむせぶ夜)
そんな 鈴木淳 の 弟子として 有名なのが
ちあきなおみ
昨日ご紹介した
作詞家
吉田旺 と コンビを 組み
昭和44年
【雨に濡れた慕情】
で デビューさせ
昭和45年
白鳥朝詠【しらとり・ちょうえい】
と コンビを組み
ちあきなおみ に
【四つのお願い】
を 作曲
(たとえば 私が 恋を 恋をするなら
四つのお願い 聞いて 聞いて ほしいの
一つ やさしく
愛して
二つ わがまま 言わせて
三つ さみしくさせないで
四つ 誰にも 秘密にしてネ
四つのお願い 聞いて 聞いて くれたら
あなたに 私は 夢中 恋をしちゃうわ)
ちあきには 他に
【X+Y=LOVE】
を 提供しています
昭和45年
安倍里葎子には
賀茂亮二 作詞の
【愛のきずな】
(いつか 知らないとこで あなたに 抱かれたの
いつか 知らないとこで 朝が 明けるのを みたの
目と目が あって
それだけで
愛の誓いが 出来たのに
今では 遠い
夢の中で すぎたことみたい)
ヒットメーカーと なった
鈴木淳は 再婚します
相手は 人気女優の
藤田佳子
藤田は 鈴木と
結婚後 女優を 辞めて
作詞家
悠木圭子【ゆうき・けいこ】
として 数々の名曲を 生み出します
悠木圭子については
昨年8月29日の音辞苑
【女優引退して作詞家に転向!】
で 特集しました
そんな
悠木 鈴木 夫妻の コンビで 放った
最初のヒットが
昭和48年の
八代亜紀の
【なみだ恋】
(夜の新宿 裏通り 肩を 寄せあう 通り雨
誰を恨んで 濡れるのか
逢えば せつない
別れがつらい
しのび逢う恋
なみだ恋)
他にも
八代亜紀には
【しのび恋】
を ヒットさせ
平成に なってからは
愛弟子の
田川寿美の
【女…ひとり旅】
や
香西かおり に
【浮雲】
を 提供
現在も 現役作曲家 と 活躍中です
今回ご紹介した
曲が 収録されている
アルバムが 発売されました
それが コロムビア から 出ている
歌の巨匠シリーズ
【歌の巨匠
鈴木淳作品集
雨に濡れた慕情】
は 2500円で 発売中です


